カレー屋さんで上場したい
レスリングで傷ついた心と体をカレーを食べることで救われた自身の経験を活かして、次は自分が誰かの心と体をカレーを通して救いたい。
始めまして!
まずは自己紹介をさせて頂きます。たんぱく剛士こと、中村剛士です。1997年10月7日生まれ、埼玉県出身です!
僕は3歳からレスリングを初め、2020年3月までの約20年間レスリングに真剣に打ち込み続け、引退しました。そんなレスリング漬けだった僕は次のキャリアとして、就職ではなく、「カレー屋」になることを決意しました。
何故か。それは、僕自身がレスリング生活で身も心もボロボロで苦しんでるときに、カレーによって心も身体も救われた経験があるからです。
「カレーを通して、誰かの心を救いたい。」「カレーの恩は、カレーで返す。」カレーに救われた僕は、いつしかこのような想いを描くようになっていました。
僕は20年のレスリング生活で、小学、中学、高校、大学と各ステージでそれぞれ日本一を経験しました。こう見ると、順風満帆なレスリング生活だったのかな??と思う人が多いかもしれません。しかし実際には、怪我や病気の連続で僕は心身共に常にボロボロでした。
怪我や病気が多いのは小さい頃からでしたが、高校生になるとその速度はどんどんと加速していきました。怪我に苦しみながらも、何とか高校では結果を残し、僕は大学に特待生として多くの方々に期待されレスリング部へと入部しました。
僕自身も、「メキメキと強くなり、応援やサポートしてくれる方々に恩返ししていくぞ!」と自分自身に期待をして意気込んでいました。
しかし現実はそうはいかず、強くなるどころか入学してからずっと怪我・病気だらけでした。時には、3大会連続で試合の途中で脱臼や靭帯断裂により途中棄権で救急車に運ばれるなんてこともありました。脳、首、肩、肘、手、肋骨、腰、膝、足首。人体の殆どで骨折や脱臼、靭帯断裂や神経症などを受傷してしまいました。
結果的に、高校の3年間、大学の4年間どちらも共に1年ずつしか練習をすることが出来ず、試合にもほとんど出られませんでした。
同期や後輩達、仲間、兄はどんどん活躍して結果を残していく中自分は、周りの期待とは裏腹に、結果が出せない。それどころか試合にも出れず、ましてや練習すら出来ない。大好きなレスリングをプレーすることすら出来ませんでした。
周りの期待や応援・サポートしてくれる方々に恩返ししたいという自分の思いとは反比例するように、怪我を繰り返しては周りから心配され、恩を仇で返す日々。
レスリングを愛してたが故に僕にとっては地獄の日々でした。レスリングは愛してたけど、レスリングをすることで僕は確実に幸せとは遠いところにどんどん行っていたと思います。
どうにかして怪我をなくそうと、独学で栄養やトレーニングを学び、私生活・食生活共に徹底したり、自費で怪我を無くす為のトレーニング施設に通ったりもしましたが、結果的に僕から怪我が無くなることはありませんでした。
3歳からレスリングをやってきたから、僕の人格や人生を形成してるのはほとんどがレスリングでした。そのレスリングに、私自身が否定されている感じがして、嫌気がさしました。そんなボロボロな大学生で、僕の心は元気を失っていました。
それでも僕は、大学生活の四年間はレスリング生活をとにかく高い意識で全うすることができました。レスリングが僕の方を向かなくても、僕はレスリングと向き合い続け、僕なりに真剣に努力を続けることが出来ました。
それはなぜか。「カレーが僕の心の支えとなり、カレーが僕の心を救ってくれていたから。」
本当に辛くても、苦しくても、美味しいカレーを食べると、不思議とまた頑張ろうと思えました。冗談無しで、心の支えだったんです。カレーのおかげで常に前向きに競技生活を送ることが出来ました。
このような経験が、食に人生を救われた経験が自分自身であるからこそ、「食を通して、誰かを応援したい。誰かの励みになりたい。誰かの心や体を救いたい。」といつしか本気で思うようになりました。
カレーと僕との運命はこれだけでは終わりません。実は僕は、カレーには心を救われただけでなく、実際には身体(健康)の面でも救われ、支えられました。
僕の唯一の趣味は、食べ歩きでカレー以外にも色んなジャンルの物を食べ歩いていました。特に小麦粉や乳製品が大好きで、当時は、ビザ、パスタ、ハンバーガー、洋菓子、カレー&ナンを休みの日に食べ歩くのが唯一の楽しみでした。
しかし僕は、ある日アレルギーが発覚しました。引っかかったのは、乳製品、基本的なナッツ類、酒、アルコール、酵母菌、卵の白身やたくさんの調味料など、他にもたくさんの数のアレルギー反応がでました。(原因は腸の病気でした。)
こうして僕は食べられるものが、一気に無くなりました。大好きだった物のほとんどが食べられなくなりました。辛いレスリング生活の中で、唯一の気分転換だった、食べ歩きが奪われてしまいました。
そして唯一アレルギー反応が全く出なかった食品が、肉、魚、玉ねぎ、トマト、にんにく、生姜、ほとんど全てのスパイスでした。こんな限られた食べ物じゃ、好きな料理の一つも食べられゃしない。。と肩を落としました。しかし僕は、ふとあることに気づきました。
「カレーなら食べられるかもかもしれない。」
日本のルウカレーや欧風カレーみたいに小麦粉や乳製品をたくさん使わないインドやスリランカなどの作り方のカレーなら、食べられることに気が付きました。
日本のカレーは、大量の油や砂糖、小麦粉、化学調味料、スパイスを使ってルーを作っているのですが、インドやスリランカなどの世界各国の一部のカレーでは、油、玉ねぎ、トマト、にんにく、生姜、スパイスなどの野菜を使ってルーを作ります。
味付けも塩のみで整えることが多く、余計な物が入りません。油の量だけ気をつければ、かなり健康的な食事なのです。
このようにして、唯一、カレーだけが僕の手元に残りました。
カレーだけは僕を見放すことはなかった。このように、実際に身も心もカレーに救われた経験から、僕もカレーを通して誰かの心と体を救うためにレスリングを引退してカレー屋になることを決意しました。
そして、「カレーを通して、誰かの心を救いたい。」「カレーの恩は、カレーで返す。」
この夢を体現するために、私は今年の10月3日にカレー屋を始めました!!
↓
「剛士curry」新宿駅西口から徒歩8分
〒160-0023 東京都新宿区西新宿7丁目19−22
週3営業 (日月火) 11時〜LO14時半
詳しい店舗情報はホームページにて確認出来ます!
↓HPリンク
https://tanpakutsuyoshi.com/
様々な人に支えられ夢の第一歩目を無事に踏み込みました!!
そして今回、株式会社BasicIncomeさんの「ベーシックインカムシネマズ(bicinemas.com)という企画を通して、この夢の歩みやカレーと僕とのストーリー・運命を映画にすることが決まりました!
10月3日の「剛士curry」オープンを先日迎え、夢への第一歩目は無事に踏み出すことが出来ました。
しかし、本当の夢の実現はここから始まります。お店を軌道に乗せ、お客さんにカレーを届け、食べた人の心と体を健康に。このことが実現されて、初めて僕の夢が叶います。
夢の実現に向けて、もう一歩、もう一歩と確実に歩を進めていく必要があります。この歩みを、一人で踏み出していくのではなく、この歩みをあなたに支えて頂きたい。
夢の実現への一歩を一緒に踏み出して頂きたい。あなたの支援が、僕の歩みを力強く、大きく、安定させてくれます。あなたの支援が、僕の夢を実現させ、人の心と身体を救います。支援してくださる方々の自慢の存在になる為に、日々精進しますので、応援宜しくお願いします!
長文を最後まで読んで頂き、ありがとうございました!