駿太
#SHUNTA

駿太

肘あり格闘技で有名になりたい

撮影中


肘ありキックボクシングというマイナー格闘技でも有名になれるんだという所を見せていきます。

40歳からでもまだまだ強くなれる。それをリングの上で体現します!20歳でデビューして現役生活20年目のドキュメンタリー。


▼このプロジェクトについて

キックボクサーとしての寿命は30歳くらいと言われているが、40歳を過ぎてもまだまだ肉体的パフォーマンスを上げて活躍できるという事を証明していく為の私生活を全公開します。


▼自己紹介

はじめまして、キックボクサーの駿太です。

まず、そもそものキックボクシングの由来を説明させて下さい

キックボクシングというのはムエタイが発祥で、本来は肘ありルールというのが基本です。

そんな中、K-1の活躍によりキックボクシングは陽の目を浴びてきているのがあり嬉しい限りではあるのですが、肘ありルールのキックボクシングが陰ってしまっていているのが現状です。

自分は有名になりたいというのがキックボクシングを始めた理由でもあるので、それならK-1ルールに移行すればいいじゃんと思うかもしれません。

しかし2003年にデビューしてからずっと肘ありルールでやってきているし、肘ありのキックボクシングが好きだから肘ありルールに拘る様になってしまっているのです。

有名になりたい…だったらK-1ルールで頑張ればいい…しかし肘ありルールが好きだし…

そんな想いが錯綜した結果、肘ありを貫いてしまっているのが現状です。

20歳の時にデビューしてからの話に戻ります。

20代の頃はとにかくガムシャラに突っ走ってきました。

自分はフィジカルやテクニックがない運動神経がないタイプなので、とにかく気持ちだけを取り柄にやってきました。

練習は辛かったけど、その気持ちと、その気持ちで作ったスタミナのお陰でデビューして2年後にMA日本フェザー級王者に。

その3年後にWMAF世界フェザー級王者になる事ができました。

その後も戦績を重ねていった訳ですが、全然有名になっているという感じはなく淡々と変わりなく20代が過ぎていった形になります。

そんな31歳の時のタイトルマッチで顔面に大怪我をして長期休養(1年弱)


30歳も過ぎたし、そろそろ引退しようかなと思っていましたが、まだまだ諦め切れず現役続行。

そのブランク開けの試合で左腕の尺骨が骨折してしまい、また長期休養(1年強)

そこでもう限界かなと思ったのですが諦めきれず現役続行。

ブランク開けでの戦績は良くなかったのですが、徐々に勝ち数を伸ばしていき34歳の時にBigbangスーパーフェザー王者になる事ができました。


しかし、やはり有名になる事は出来ていませんでした。

そんな35歳の時に、喋るのが苦手で鍛える為にYouTubeを始めました。

YouTubeは毎日の様に更新していたのですが、ある時の動画がバズり、

その時に「YouTubeで有名になれる!」

ということに気付き、YouTubeにエネルギーを注力する様になりました。

試行錯誤しながらYouTubeに取り組み、少しずつ有名になってる感覚はありめちゃくちゃ嬉しいのですが、まだまだ自分が思い描く有名度には達していません。

そんな中で新しいチャンネルをいくつか立ち上げ他のですが、YouTubeも中々難しく、日々奮闘しております。


▼このプロジェクトでの達成目標

元々キックボクシングを始めたのも「有名になりたい」というのがきっかけでした。

しかしキックボクシングで有名になる事はできませんでした。

35歳の時にYouTubeを始めた訳ですが、続けていると、応援してくれる人が増えていき、道端でよく声をかけられたりする様になった事でYouTubeが有名になる為の抜け穴だと気付いた。

YouTubeという媒体を使ってキックボクサーの自分を知ってもらえる様に、ユーチューバーキックボクサーとしてもっともっと有名になりたい。